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大阪高等裁判所 平成5年(う)204号 判決

本籍

和歌山県御坊市島二三七番地

住居

和歌山県御坊市島二四七番地

遊技場(パチンコ店)経営

津村カヤ

昭和二年一〇月一日生

右の者に対する相続税違法、所得税法違反被告事件について、平成四年一〇月二二日和歌山地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 阿津地勲、藤村輝子出席

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六月及び罰金六〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納できないときは、金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人村上有司作成の控訴趣意書(控訴趣意第一を撤回し、本件控訴趣意は量刑不当の主張に尽きる旨釈明した。)に、これに対する答弁は、検察官阿津地勲作成の答弁書にそれぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、要するに、被告人を懲役一年二月および罰金六〇〇〇万円に処した原判決の量刑は、とくに懲役刑につき刑の執行猶予を付さなかった点で重きに失する、というのである。

所論(弁護人の当審弁論を含む。)にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、夫津村清が昭和六〇年一〇月一日に死亡したのに伴いその全財産を相続すると共に、夫清が和歌山県御坊市で「大洋ホール」の屋号で営んでいたパチンコ遊技業を引き継ぎその経営に当たるようになった被告人が、(1)相続財産の一部である仮名借名の預貯金や金地金などを相続財産から除外するなどして相続財産の課税価格二億〇九九三万円余を過少にし、右課税価格が七八四〇万円余でこれに対する相続税額が二四七万円余である旨申告し、正規の相続税のうち四四八二万円余を脱税し(原判示第一)、(2)前記「大洋ホール」の店長である実弟の米澤唱弘と共謀の上、売上の一部を除外するなどの方法により、昭和六一年分から昭和六三年分に至る各年分の所得金額の大半を秘匿し、正規の所得税額合計三億七三六二万円余の中合計三億六七四七万円余を脱税した(原判示第二)相続税法違反、所得税法違反の事犯であって、その脱税総額は四億一二二九万円余と多額にのぼり、ほ脱率も全体で約九七・九五パーセントと高率なものであること、併せて近時この種大口脱税事犯に対する納税者一般の処罰感情に厳しいものがあることなどに徴すると、被告人の刑責には重いものがあるというべきである。

所論は、相続税法違反の事実につき、相続税の申告手続をしたのは、夫清の実兄津村幸雄と無資格税理士の片山統であって、被告人はその内容を説明されておらず、また申告内容を把握し理解する能力もなかった旨主張する。

関係証拠によると、相続問題については、親族間の実力者でもある実兄幸雄が、全面的に関与し、被告人の単独相続を実現させるべく、関係相続人間を回って相続破棄の合意を取り付けるのに尽力し、相続財産の確認などにも努め、また相続税申告に当たっては、義兄幸雄のほか、亡夫が生前長く税務処理等を任せていた片山統(事務員数名を使用する株式会社御坊計算センターの主宰者で、税理士など正規の資格を有していない。)らが中心になって申告書を作成し、被告人は出来上がった申告書に目を通し押印する程度であったと認められる。他方、被告人は昭和六〇年一二月頃義兄幸雄と共に自宅の金庫・鞄等の外、紀州信用金庫本店の貸金庫等の内容物を確かめる機会があり、仮名借名分を含む多数の預金証書や通帳、金地金などの遺産の存在を確認し、亡夫の相続財産のあらましを承知していたこと、また被告人から相続問題の相談を受け、相続財産確認の際被告人に同道もし、相続財産のあらましを知っていた実兄唱弘から、「相続税を支払うのに三〇〇〇万位を用意しておく必要があるようだ」との話を聞かされ、且つ被告人自身も義兄幸雄に対し相続財産の一部を告げなかった分もあることなどから、所轄税務署に本件相続税申告書が提出されるのに先立ち、相続税額が二四〇万円と記載された申告書の内容をみて、それが相続財産を抜くなどした過少申告であることに気付いていたこと(被告人は原審公判においても過少申告であることの認識はあった旨供述している。原審第六回公判における被告人の供述参照)などが認められ、以上によると、被告人は本件相続税の申告に当たり、その詳細までは把握していなかったものの、ほ脱の犯意があったことは否定しがたいところである。所論は採用できない。(なお所論は、除外したとされる相続財産のうち、イ・被告人名義(津村カヤ及び津村佳代子名義)の預金一億二四四七万円余及び被告人名義の貸金庫に保管されていた金地金四キログラムは、いずれも被告人の個人財産であり、ロ・亡夫の実弟三上保に対する貸付金一〇〇〇万円は、同人が夫から生前贈与を受けているので、貸付金として扱うべきでなく、ハ・相続開始時にあったとされる現金八〇四万三一〇〇円については、その存在を裏付ける証拠はないなどと主張するが、しかし、イの預金や金地金が亡夫の財産であったことは、査察ないし捜査段階の取調べにおいて被告人も異議なく認めており、ロの貸付金が亡夫の生前に贈与された事実を窺わせる証拠はなく、右三上自身も債務の存在を認めており、ハの現金については、それが相続開始当日現在大洋ホールの営業に日常的に必要な営業用現金の合計額であったことは、査察時に大蔵事務官の質問に対し被告人が関係帳簿類を示すなどしてその存在を具体的に説明しているところであって、これらが相続財産に属することは明らかというべきである。)

次に所論は、所得税法違反の各事実につき、申告書の名義人は被告人になってはいるが、店の実質的経営者は実弟唱弘であり、同人が前社長の処理方法などを参考にして日々の売上中から一定額を裏金として脱税する方法等を考えたものであり、また本件所得税の申告は、実弟唱弘と片山統らに一切を任せていたので、被告人には脱税の犯意はなかった旨主張する。

しかしながら、大洋ホールの売上げ等を記載するなどしたノート五冊(当庁平成5年押第61号符号一ないし四、八)、被告人の大蔵事務官に対する質問てん末書、被告人の検察官調書など関係証拠によれば、被告人は夫存命中の昭和五九年暮れ頃以降は、夫に頼まれて大洋ホールの売上げを一部除外したりする記帳作業に従事するようになり、同店の営業に関する脱税処理の方法を概ね知っていたものであり、夫の死後は、実弟唱弘に同店の店長になって貰うと共に、同人と相談して、夫の前例に習い、表に出す金額と裏に回す金額を日々報告を受け、これらをノート(実際の売上げ金額等も記載した裏帳簿に当たる被告人の個人用のノート)に記載していたこと、本件所得税の申告にあたっては、調整を施した表帳簿等の資料を前記片山の事務センターに提出し確定申告を依頼していたことなどが認められ、以上によると、被告人が実弟唱弘と共謀の上、本件各所得税法違反の犯行に及んだものである事が明らかというべきである。被告人の原審公判における供述中、右認定にそぐわない部分は、関係証拠と対比し信用できない。右所論も失当である。

なお、大洋ホールの会計・税務申告等を指導する公認会計士である当審証人米沢節は、その証言中において、本件所得税法違反にかかるほ脱所得の算定等の問題にもふれ、検察官主張の昭和六一年分ないし六三年分の各修正損益計算書の経費項目の中、〈1〉消耗品費の金額は、被告人側が計算した実額を遙かに下回っている(右修正損益計算書によると、例えば、昭和六一年分の消耗品費としては三八四万九〇八〇円が経費計上されているが、パチンコ台等の機械の納入先からの回答によると、同年分の納入金額は一一二六万九〇〇〇円であり、前記の経費計上額は少な過ぎるのであり、昭和六二年分及び昭和六三年分についても同様である。)、〈2〉福利厚生費の金額は、例えば、昭和六一年分にあっては六〇〇万円台であるが、平成三年分或いは平成四年分においては一一〇〇万円台であり、両者を対比すると、概算で五〇〇万円前後の差がある、などの点を指摘し、その結果として本件課税所得が過大に算定されたものとみられる旨証言する。

しかし、当審証人大原享の証言(第六回公判調書添付の速記録末尾添付の大阪国税局査察部収税官吏大蔵事務官大原享作成の平成六年三月一八日付報告書を含む。)及び同人作成の同年七月四日付査察官報告書など関係証拠によると、所論指摘の経費項目は、いずれも課税額計算上、正当に計上処理されているものと認められる。すなわち、右〈1〉については、一台一〇万円未満のパチンコ台等の減価償却資産については経費として計上できるのに、被告人側が減価償却資産として計上していたため、課税計算上はこれら資産を消耗品に振替処理しており、昭和六一年分の消耗品費としては一六二八万円余を認めているほか、六二年分として一三〇五万円余、六三年分として一四二〇万円余を認めているのであって、米沢節証言のいうような過少な経費計上ではない(なおパチンコ台等の機械の納入先からの回答による分についても正当に処理されている。)ことが明らかである。米沢節証人は、公表消耗品費と犯則分消耗品費とを加算しただけの誤った金額に基づいて証言したものと思われ、右証言の指摘は理由がない。右〈2〉については、福利厚生費を四一六万一五〇〇円減算しているのは、従業員に対する食事手当を福利厚生費として処理されていることが判明したので、これを給料に加算し、福利厚生費としては認めず減算したものであること、米沢節証言から推測すると、平成三年期及び四年期の経費処理においても、食事手当等を福利厚生費として処理しているように窺われるので、この点で前同様に修正加算した金額は、昭和六一年分ないし六三年分とも、米沢節証言の平成三年期及び四年期の各一一〇〇万円台とする金額と大差ない金額となっていることが認められる。従って、この点に関する右証言の指摘も当たらない。その他、米沢節証言は、法人(有限会社大洋ホール)経費との対比で、本件所得税法違反の課税所得の計算上約五〇〇〇万円近い経費が減算漏れになっているような印象を与える内容になっているが、右法人経費増加は、主に、銀行等の借入金で新規取得した設備資産の償却費及び借入利子の増加と、パチンコ機械の単価上昇に伴う消耗品費の増加(その他にも地代家賃や雑費の項目についても顕著な増加がみられる。)に起因するものと認められ、結局、本件所得税法違反に関する検察官の経費計上につき米沢節証言のいうような減算漏れはなく、本件課税所得は適正に算出されているものと認められるので、右米沢節証言が指摘する疑問は理由がない。

被告人の刑責が重いことは、前示のとおりであるが、他方、被告人は、夫清の死亡が予期せぬ突然の出来事であった上、密かに愛人を伴った旅先での急死であったため、事態を知った被告人の衝撃は大きく、強い心理的虚脱感と混乱が続く中で、遺産相続が開始し、大洋ホールの存続については十余名の従業員の去就の問題もあり、周囲の勧めに押されて短期間の休業後営業を再開しその経営を引き継ぐことになったものであるところ、相続税法違反については、相続問題について全面的に関与した義兄幸雄ほか、夫清の時代から税務処理を任されていた前記片山らにおいて、脱税を助長した一面があること、また、所得税法違反では、実兄唱弘と相談した上、亡夫が従前から業っていた脱税の方法である売上げ除外等の方法をそのまま踏襲することにしたものであり、被告人が新たに画策したものではないと、被告人は、本件摘発の当初から素直に犯行を認めて査察に協力し、本件について強い反省の態度を示していること、前科前歴は皆無であるのは勿論、従前所轄税務署の税務調査を受けたこともないこと、本件脱税が発覚した後速やかに修正本税、重加算税、延滞税、修正地方税などの全額約七億四〇〇万円を納付していること、適正な税務処理等を図るため平成二年二月に事業を法人化するとともに、新たに公認会計士を迎え、経理監査のほか税申告についても指導を受ける体制を整備していること、被告人の年齢など、被告人に有利な斟酌すべき情状も認められる。以上を総合考慮するとき、被告人を懲役一年二月及び罰金六〇〇〇万円に処した上、懲役刑について実刑に処することは止むを得ないとした原判決の量刑は、原判決時を基準とする限り、破棄してこれを是正しなければならないほど重きに失し不当であるとまでは認められない。

しかしながら、当審における事実取調べの結果によれば、原判決後、被告人は、一段と原判決を厳粛に受け止めて反省の念を深め、前記の本件脱税にかかる重加算税等の支払に相当巨額の金員(起訴外である昭和五九年分及び六〇年分の所得税の修正本税・重加算税等を含めると約九億九三九〇万円となる。)を納付するなどして手元不如意の中で、実弟唱弘の協力も得て金一〇〇〇万円を、贖罪の意味をも込めて特別養護老人ホーム建設計画の基金として所管の関係機関に寄付し、更に反省の情を明らかにしていることが認められ、これに前記の原審当時から存した被告人のため酌むべき諸情状を併せて考えると、現段階においては、原判決の量刑は、懲役刑につき執行猶予を付さなかった点で、重きに失すると認められる。

よって、刑訴法三九七条二項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決することとし、原判決が認定した事実に、その挙示する法条のほか、懲役刑の執行猶予につき刑法二五条一項、当審における訴訟費用について刑訴法一八一条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 田村承三 裁判官 久米喜三郎 裁判官 出田孝一)

平成五年(う)第二〇四号

相続法違反・所得税法違反被告事件

○控訴趣意書

被告人 津村カヤ

右の者に対する御庁頭書事件につき、控訴の趣意は次の通りです。

平成五年六月二六日

右弁護人 村上有司

大阪高等裁判所第二刑事部 御中

第一 事実誤認について

一、総論

被告人は、原審の第一回公判で「相続税について、適正な申告がなされなかった…事実は認めますが、犯意については…津村幸雄及び…片山統に一切任せていたので故意に…指示したのではありません」、「所得税についても適正な申告がなされなかったという…事実は認めます。これも…米沢唱弘及び…片山統に税務処理一切を任せていたので…脱税の意思はありません」と答えている。しかし、第七回公判で弁護人は、「被告人は本件について犯意を積極的に否認しているものでなく、弁護人としても被告人の犯意は争いません」、被告人は「私が税金の申告をした時、それが適正な申告ではないことは分かっていました」と述べて脱税を肯定する様な記述になっているが、それは、被告人の真意ではなく、被告人はあくまで脱税の犯意を否定するものである。この点は、被告人の原審での詳細な供述内容を見れば明らかである。本件相続税及び所得税の申告については、被告人は直接タッチせず第三者に任せたままであり、申告内容は皆目知らない。この様な被告人に対して税務申告名義が同人であるとの一事によって、原判決の様に包括的に脱税の犯意を肯定し、処罰するのは事実誤認であり、判決に影響を及ぼすことは明らかである(刑訴法第三八二条)。この点を明白にする為、先ず、被告人の経歴及び本件税申告の経過を証拠に基づき略述する。

1 被告人は、昭和二年一〇月一日和歌山県の片田舎の農家の二女として生まれた。昭和一七年尋常高等小学校をやっとの思いで卒業した。その後は、家計を助けるため農業や紡績女工として働き続けてきた。男尊女卑の気風の強い戦前、特に経済的に恵まれなかった被告人の家庭では教育を充分受けることなど思いもよらないことであった。この様なことから、被告人は、日常生活上必要な記述や計算は出来ても少し複雑な読み、書き、計算の能力は充分ではない。

2 被告人は、昭和三三年に亡夫津村清と結婚をしたが、子宝にめぐまれなかった。夫清はワンマンであり、パチンコ営業も全て取り仕切っていた。被告人は、温和で夫に従順で「日本の妻」を地で行くタイプであった。パチンコ営業も裏方で黙々と手伝っていたが、営業上のことは、ほとんど知らしめられていなかったし、被告人自身知ろうとしなかった。被告人の供述の中には、「私や主人の名義以外の預金口座を主人に言われてつくったり預金手続を主人に代わってした…」との部分があるが、これは脱税工作の意図をもってやったことを自認するものではなく、「主人に言われるまま」何のことかわからず単に手続丈をしたという意味である。この様に被告人は、夫の生前中から同人の庇護の下にしか生きられない女性であったし、夫唱婦随を美徳と考えて生活をしてきた女性である。

3 パチンコ営業は亡夫の努力、被告人の蔭からの協力が相まって隆盛となっていった。夫婦仲もすこぶる円満で他人から羨ましがられる状態であったが、昭和六〇年一〇月一日九州旅行中に夫が急死した。あまりに突然のことで被告人は大変なショックを受けた。その上、全幅の信頼をしていた亡夫が、愛人と恋の逃避行中であったことを知って、被告人は「一時は何もやる気力も無くなってしまう」状態であった(乙第三六号証第四項)という。

4 パチンコ店はしばらく休業したままであったが、右の様な心情の被告人はそのまま店を閉鎖しようとさえ考えた。しかし、「閉店してしまうと従業員らも職場を失う羽目になる」と言われ、無気力のまま再開することにした。しかし、進んで開店したのではなく、従業員らのために店を再開したのであって経営に対する熱意はなかった。又、パチンコ事業は亡夫がワンマン的にやっていたので被告人には経営能力がなかった。この様なことから、実弟米沢唱弘(六ケ月前に入店)に全て任せきりの状態、換言すれば実質的には同人を経営者とする形で店を再開したのである。後に詳述する通り、米沢によってパチンコ店は運営され、税申告も彼の意向で行われていったのである。

二、相続税について

1 (概説)

ところで、亡夫の死亡後昭和六〇年一一月頃から遺産相続をどうするかということが検討されていた。しかし、被告人は前記の様に精神的に強いショックを受けていた上、相続についての知識もなかった。又、亡夫の兄弟らとの交渉という難問もあったことから自分で処置できる状態でなかった。この様な状況を見兼ねた義兄津村幸雄が、他の相続人との交渉、遺産の把握等全般に亘り全権力をもって解決に当った。幸雄は、津村家の長兄であり、農協の役員をする実力者で地方の顔役で、兄弟に対する支配力は強力で、特に弟嫁である被告人が反論出来る状態ではなかった。被告人は、義兄を信頼していたので全てのことは同人に任せきりであった。津村幸雄は、税金申告に当って片山統(無資格税理士)の助力を得て、遺産の確認及び税務申告手続をした。被告人も夫の死亡時点で遺産としてどの様なものがあるか判然としなかったので、直ちに義兄幸雄の指示に従い、全財産を開示している。右財産の内、どの財産を申告し、それをいくらに評価するのか等の作業は、その後義兄と片山によって進められたもので、被告人は介入していない。確かに、被告人も遺産の確認や証明書の取得に助力したことはある。しかし、これらは義兄津村幸雄らの指示、指図のままに機械的に収集して手渡したに過ぎない。

税務申告者は被告人であるが、最終的に相続税額を教えられた丈で、申告内容の説明は受けていない。仮りに説明されても、当時の被告人にはそれを掌握する能力はなかった。全てを任せていた津村幸雄が「ここに判をつけ」というので、それでよいものと考え押印した丈で、被告人はどの様な物が相続財産として計上されているのか、又抜けているのか。それらの財産がどれ位に評価されているのか等については全く知らない(乙第五号証)。

以上の通りであるから、被告人名義の申告に誤りがあるとすれば、その責任は義兄と片山が負うべきである。少なくとも、被告人には脱税の犯意はないのであるから、これについて犯則行為として刑事処罰することは許されない。

2 (相続財産の範囲について)

原判決は、本件相続財産の課税価格を二億八八三三万五四三一円と特定した上、申告額との差額四七二九万円を被告人が脱税したというのである。右課税価格二億八八三三万五四三一円は、総資産八億一七五二万六四五〇円から債務及び葬式費用を差引いたものである(冒頭陳述書添付別紙1、2御参照)。しかし、総資産という中には、次に述べる通り相続財産とすべきでないものまで含まれている。

イ、預金については、秘匿額四億九三〇〇万余円と多額にのぼっている。しかし、この内、被告人名義分(津村カヤ及び佳代子)が一億二四四七万円余ある(甲第八号証以下御参照)。原判決は、これも亡夫の遺産と認定するのであるが、右被告人名義人分は明らかに被告人のもので亡夫の遺産とするのは誤りである。けだし、被告人は、亡夫と共にパチンコ営業を支え、共に財産形成に参加してきた者である。確かに、被告人の役割は裏方であり、夫の指示に従って行動した者ではあるが、被告人の存在は不可欠であり、夫清と同等ないしそれに近い貢献をしている(乙第七号証二丁裏、同九号証一丁以下)。これに対して、被告人は、特別に給与その他の報酬を受けたことはなく、その他の配当にも預かっていない。被告人名義の預金は、この様な背景の下理解されるべきであり、この様なものまで亡夫の遺産の中に入れるべきでない。右預金は被告人の献身的努力に対して支払われた報酬と解すべきであり、名実共に被告人の個人財産である。

ロ、貸付金一〇四〇万円についても、その内一〇〇〇万円は被相続人の実弟三上保(相続人の一人)に対するものである。前述の通り、被告人は義兄津村幸雄の努力で亡夫の遺産を一人で相続することになった。その交渉顛末は不明であるが、三上には貸付金額をはるかに越える相続分があった(弁第一号証の一)。三上は右一〇〇〇万円を含め、津村清には生前中より大変世話になっていた様である。この様なことを考え合わせ、相続権を主張しなかったものと思われる。そうであれば、一〇〇〇万円は三上が亡清より生前贈与を受けたものとして処置されたもので貸付金として扱うべきでない。借用証の体裁は杜撰で、三上は返済を一度もしていない。又被告人が相続開始後三上に返済請求を全くしていないところから見ても、これについては遺産分割協議(実質は相続放棄)の際、生前贈与分として処置され(乙第三七号一三丁以下、同第一七号証八丁裏)、当事者間では貸付金とは考えていなかったのである。従って、右一〇〇〇万円を貸付金として相続財産に入れるのは事実誤認である。

ハ、金地金(一六kg)は、被告人名義の貸金庫に四kg、津村唱弘名義(清の別名)の貸金庫に一二kgに分けて保管されていた。金地金の購入資金は清と被告人の共有の家計から支出されている。亡夫清が、自分名義の貸金庫ではない被告人名義の貸金庫にわざわざ四kg丈を分けて保管したことは、この分は妻の取り分と考えていた証である。少なくとも、金地金四kgは、被告人固有のものと考えるべきで相続財産ではない。尚、被告人自身、金地金(一六kg)を申告財産から除外したことはなく、申告しなかったのは義兄らの処置である。

ニ、現金については、通常の営業形態から死亡時に八〇四万三一〇〇円あったであろうと推測するものである。しかし、この点に関する被告人の供述はいかにも形式的で、税務担当者の計算に基づく誘導に迎合したものに過ぎない。当時、現金が存在したのか否か、又存在したとしても、その額がいくらであったのかについては証拠がなく、原判決の認定は証明不十分と評しなければならない。義兄らは、申告の当時には既に現金の存在が確定出来なかったから申告しなかったものと思う。少なくとも、被告人は現金の存在についての認識はなく、敢えてこれを申告より排除しようとしたこともない。

ホ、検察官は、「生命保険金の内、富国生命と郵政省分二九、九三四、七九五円は現金で受けとっていたから相続財産から除外した」と主張し、被告人の悪質性を殊更に強調するが、けっしてそうではない。被告人は、昭和六〇年一〇月一日、夫清が死亡した直後に右保険証書を含め一切の財産を義兄幸雄に開示し、同人の管理に任せている。保険金が現金化されたのは、それよりずっと後の同年一二月以降である(甲第一〇号証)。右保険金を除外したのは、保険掛金が夫と被告人の家計費より支払いされていることから、この分は相続財産から除外してもよいと考えたからである。このことについては、被告人一人の判断ではなく、片山ないしは義兄幸雄の指導があった。この点について、被告人は、原審で「自分一人の判断で右保険については義兄にも報告していない」旨の供述をしている。しかし、右の経過よりしても、それが誤りであることは明白である。この点については、当審で更に証明する予定である。

三、所得税について

1 前述した通り、被告人は、夫の死亡後「従業員のため」に店を再開したが、女性の被告人には経営能力がなかったので、実弟米沢唱弘に「自分と一緒に店の管理から何もかも手伝ってくれ」と頼み、同人が「店の責任者となり」「大洋ホールの仕事の方も店の売上等金の面の仕事…」一切をしていた(甲第三〇一号証一〇丁以下)。この際、被告人が同人に指示したのは、「赤字を出さない様に。経営方法はお前に任せる」というものである(甲第二九号証一〇丁目、甲第三〇〇号証外)。事実、その後米沢によって店の運営はなされていた。米沢は、赤字を出さないために店の運営に努力すると共に、税対策についても前社長津村清が生前に残した書類や他店のやり方を参考に日々売上の中から一定額を裏金とする方法を自ら考え実行したのである(甲第三〇〇号証四枚目裏以下)。そして、税申告等実務的なことについては、前社長時代から相談をし、信頼していた片山の指導を受けて進めた。米沢らは、片山は御坊市内に事務所を構え、数人の事務員を雇って堂々と仕事をしていたので無資格税理士とは考えたことはなかった。査察後、片山が無資格であると聞かされ驚いているのであるが、それ迄は片山に対する信頼感は絶大で“神様的”存在であった。同人の指示は絶対であり、その指図通りにやれば間違いはないと米沢らは思っていた。

2 被告人の税申告は、米沢が片山の所へ売上集計表、経費表、領収証を持参し、片山は事務員に命じて仮決算書をつくるという方法で毎年進められていた。その際、片山と米沢が話し合ってその年の納税額を決定するのであって、被告人が指図したり、相談に預かることはなかった(米沢、片山供述調書)。確かに、その結果は被告人にも伝えられ、最終的には被告人も片山事務所に米沢と共に行っているが、その時には既に申告書は完成していて、被告人が教えられるのは「納める税金の額」丈であり(甲第二九〇号証)、決算内容については説明もされていないし、説明されても被告人には判断能力はない。片山事務所で話しをするのは米沢であって被告人は終始黙して語らずであったという(甲第二九三号証八丁目その他)。これは、被告人には修正を求める意思も能力もなかったことを物語るもので、営業全般は米沢によって取り仕切られていたこと、被告人は単なるロボットに過ぎなかったことの証明である。

3 確かに、被告人は店を再開するに当り、表に出すものとそうでないものを区別していた。しかし、これは、浮き沈みの大きいパチンコ業界で生き抜くためには当然の防衛策と思っていたのである。すなわち、被告人は、亡夫が生前からその様にするのを見ていたから、企業防衛の為にはそうするものだと思っていたので、米沢にもその様に話しをし、従前の慣行通りに裏金を保留していた丈である(乙第四一号証五丁目)。

この点で、検察官は被告人が夫を亡くした後、「頼りになるのはお金しかなかった」、「お金しか頼りにならず、少しでも多くのお金を残しておきたかったのです」との供述をとらえ脱税の犯意を印象付けようとする。しかし、そもそも右供述は、検察官の作文である気配が濃厚である。けだし、夫死亡直後、被告人は心労と失望のため「何をやる気もおこらず」(乙第三四号証)、「一〇キロからやせ…自分の命だけあれするぐらい…」(原告本人調書二〇丁)の状態で金や物に対する欲望は全くなかったのである。仮りに、被告人がその様な供述をしていたとしても、被告人の真意は、夫の死亡後勧められるままに店を再開したのであるが、「パチンコ店という業種につき先行き不安であ…」った(乙第三八号証三丁目)ことから、景気のよい時に悪い時のことを考えて少し蓄えておきたいと考えたことを右の様に表現したものである。経営者としては、安定経営を考えるのは当然のことで非難できない。今から考えると、その方法を間違ったことは認めるとしても、当時の被告人は信頼していた片山から「亡夫が生前していたと同じ形を続ける」と言われたので、その方法は許されるものと思って踏襲した丈である(後述)。

4 所得税の申告は、被告人名義でなされている。しかし、前述の通り、その内容は米沢と片山によって決められていた上、その署名は片山事務所の方でし、押印は米沢が行っていた(乙第二九三号一四丁目)というのであって、被告人は参画していない。米沢は各年度の予定の申告税金額を計算し、被告人に話しているが、これに対して被告人は積極的な意見をいっていない。これは、経営一切を米沢に任せていたからである。この様に被告人は、名義を貸与したに等しく、実質的申告者は実弟米沢である。

これに関連して、夫死亡後、店を再開するに当り、竹本保(通称安全)より従来のやり方を変更する様指摘された節がある(原審での米沢証言、被告人の供述)。この時、米沢らは、直ちに片山に相談している。しかし、片山はこの申し入れを強く拒否し、従前通りやる様指導している。当時、米沢や被告人にとっては片山は“神様”的存在で、同人の指導に反対したり、拒否したりする意思も能力も持ち合わせていなかった。片山の指導に従ってやっていれば間違いないと思い込んでいたのである。そして米沢は、片山の指導通り、津村清時代のままの帳面処理を続けたのである。すなわち、米沢は日々の売上をカヤに一応報告する、カヤはその数値を日記風に記帳していた。この金額の真偽は不明であるが、米沢の報告のまま記入している。一方米沢は、この売上額より減額した数値(現金額でない)を別ノートに記入している(原審米沢調書)。しかし、この方法は米沢が「津村清のノートを見て、自分なりに作成した…」もので被告人が指導したものではないから、米沢がどの様な基準で減額したのかは被告人は知らない(甲第二九七号証三丁目裏、甲第三〇〇号証、乙第三八号証三丁目)。ところで、ここで銘記しておくべきことは、税申告はこの帳面の数値とも関係ないことである(甲第二九七号証五丁目)。原審で被告人が米沢より日々報告を受け記入したのは、「ただ慰みみたいなもので…」という一見理解し難い供述(原審本人尋問)も正しい認識なのである。被告人にとっては、裏の数値(現金額でない)自体が問題なのではなく、店の営業状態を漠然とでも知るために前日あるいは前月との対比資料として多少関心があったので記入した丈である(それも深くは考えていなかった)。この様に、被告人らに二重の帳面があることを脱税の準備であるとか、計画的脱税であると見るべきでない。もし、計画的なものとすれば、日記帳の中に他の事項と共に記入したり、このメモを何年間も残置する馬鹿げたことをするはずはない。

5 以上の通り、本件申告は、米沢と片山に一切を任せ、同人らの判断により実行されたものであるから、被告人に脱税の犯意を認めるべきでないと考える(原審本人調書二二丁目)。しかし、百歩譲って、夫と同じ方法を踏襲して、企業防衛とはいえ裏金を貯えたこと及び形式的とはいえ申告名義人であったこと等から多少の責任があるとしても、原判決の様に全部について脱税の犯意を認定するのは事実誤認である。被告人は、「六一、六二、六三年においてそれぞれ一億位ずつ過少に申告していたと思います」というのである(乙第三九号証六丁目)。尤も、この留保金は亡夫が以前からやっていたことであり、片山の指導の下にしていることなので脱税とは当時の被告人は考えていなかったことについては、既に述べた通りであるが、もし、被告人に脱税の責任があるとしても右の限度に過ぎない。けだし、再三述べた通り、被告人は営業実態の把握も、税申告の内容も極めて概活的にしか知らされてなく、その詳細を知らなかったのである。そうであれば、右金額を越える脱税があったとしても、それは米沢と片山の暴走であり、被告人にはこの部分を越えて脱税の犯意はなく、責任を負わせることは出来ない。

〈省略〉

尚、参考のため、仮りに各年度一億円ずつ過少申告したものとした場合、次の通りとなる。

〈省略〉

第二 情状について

既に詳述した通り、被告人は本件の全部又一部につき無罪と考えている。しかし、仮りに、有罪認定がなされるとしても、次の情状を考えれば、懲役一年二月、罰金六〇〇〇万円とする原判決は重きに失し不当である(刑訴法第三八一条)。

一、原判決が“量刑の理由”中で述べている次の事実はいずれも誤りである。

〈1〉 「本件は被告人の義兄や実弟あるいは税務処理を任せていた者らが被告人の脱税を助長していた面があ…」るとするのであるが、既に述べた通り、相続税及び所得税共に本件税申告は義兄津村幸雄、実弟米沢唱弘、片山統らによって実行されたものであって、被告人は従属的ないしは消極的に関与したに過ぎない。

〈2〉 被告人が「相続財産の一部を積極的に隠匿した」と指摘されるが、これも明らかに誤りである。相続財産の一部を被告人が積極的に隠匿したことはなく、夫死亡後、家産一切を開示し、相続税申告については義兄と片山に任せていたのである。もし、原判決が隠匿したというのが生命保険金のことを指すとすれば、それは間違いである(第一、二、2、ホ)。

〈3〉 又、所得税申告について、被告人が「夫が脱税していたことを十分知っていて、実弟に対し…」「夫と同様の方法で脱税せよ」と指示した様なことはない。実弟米沢は、津村清が生前にやっていた方法を熟知していたから、特に指示する必要はなかった。むしろ、米沢は「前社長のつけていたノートを見て自分もメモをして姉(被告人)に報告していた」(甲第二九七号証外)というのである。只この方法については、竹本保(通称安全)からやめる様に指摘され、米沢らはその旨片山に申し入れたが、片山はこれを認めず、結局、従前の方法を踏襲することになったのである。間違った方法を中止しなかった責任の一端が被告人にもあるといわれればそれ迄である。しかし、当時、被告人らの片山に対する絶大な信頼度を考えれば一概に非難できない点もある。少なくとも、原判決が言う様に被告人が中心になってこの方法を押し進めたものでもないし、被告人の方から他の者に働きかけてやらせた様なことは絶対にない。むしろ、働きかけたのは実質経営者であった米沢であり、右の方法を継続させたのは専門的立場にあった片山である。決して責任を転嫁するつもりはないが、既に詳述した通り、本件税申告の実体を直視すれば、少なくともその責任は彼らにも分担されるべきである。しかるに、義兄、実弟及び片山ら実行行為者らには何らの刑事処分がなく、被告人一人が起訴されている。この上、実刑判決を受けるということになれば、余りにも権衡を失する処置といわなければならない。

二、原判決によると「相続税四四八二万三一〇〇円及び所得税三億六七四七万五三〇〇円合計四億一二二九万八四〇〇円の税金を相続財産除外、売上除外、架空仕入れ計上等の方法によって免れた…」というのである。しかし、第一で詳述した通り、原判決は相続財産でないものを相続財産としたり、各年度の所得の把握方法を間違った結果、右の様な膨大な額となったのである。仮りに、被告人に多少の脱税があるとしても原判決が挙示するような多額なものでないこと丈は明白である。検察官は、過去の判例を資料として提出し、脱税額三億円が実刑か否かの基準であるといわれる。右資料の事例は古いもので、その後の貨幣価値の低下を考慮すれば、右基準は絶対的でない。その点は今は別にするとしても、第一で既に述べた通り、適切な認定がなされれば、脱税額は相当額減少し三億円にはとても達しない。

三、被告人は、子供時代から様々な苦労を乗り越えて家の為、夫の為に貢献してきた。子供に恵まれなかったが、夫婦二人力を合わせてパチンコ経営に寝食を忘れて頑張った。やっと事業も軌道に乗り安定した生活の目途だ立ってきた矢先の昭和六〇年一〇月一日、旅先で夫が急死した。被告人の落胆は筆舌に尽くし難いものがあった。

相続税申告の頃には、被告人の精神状態は最悪で生きていくのがやっとであった。仮りに、義兄津村幸雄と片山のやり方が間違っていても監督できる状態ではなかった。

その後、近親者や従業員らの励ましで店を再開したが、ショックから立ち直れず、又女性の被告人にはその経営は重荷であった。幸い被告人の実弟米沢が、夫死亡前より店の手伝いをしていたことから、同人を信頼し一切のパチンコ営業を任せることにしたのである。しかし、米沢もパチンコ営業には詳しくなく、前社長(津村清)のやり方を見よう見真似で踏襲していた処、その方法が間違いであると国税当局から指摘を受けることになったのである。実弟も店の為、姉の為によかれと思って、片山と共々今回の方法を実践したことであるから、決して彼らを非難するつもりはないが、被告人には迷惑な話しである。尤も、被告人自身もっと強く監督をして指導力を発揮すべきであったとの指摘があるかもしれない。しかし、前述した通り、被告人は夫の死亡により虚脱状態にあったのである。しかも戦前生まれで男尊女卑の教育を受けて成長してきた被告人には、たとえ弟といえども彼のやる事に口ばしを入れることは心よしとしなかったのである。又、被告人には税法的知識はなく「片山先生のやってくれることは正しい」との気持が強かった。

中途半端であった自らの立場を反省し、本件後は陣頭指揮をして有資格会計士の指導の下に公明正大な税申告手続をしている。

四、脱税による利得は、被告人が独り占めしたかの如き供述が散見するが、これは誤りである。被告人は、夫死亡後店の経営を実弟米沢に任せたのであるが、浮き沈みの激しいパチンコ業界で、「赤字が出た時のことを考えて黒字の時、裏金を多少保留した」のである。従って、保留金は実弟に任せた“大洋ホール”の安定経営のためのものであって、被告人個人のためのものではない。確かに“大洋ホール”は法人ではなく、個人企業であったから法的には個人財産との区別はつかない。しかし、被告人の頭の中には、パチンコ店は実弟に任せたものとの認識が強くあったから個人財産とは区別し、いうなれば企業のための資産として概念していたのである。

この保留金も、今回脱税事件として摘発を受け八億円を越える支出を余儀なくされた。それでも不足するものについては借金をした。今後この返済について長期間苦悩しなければならない。

五、被告人の半生は一難去って又一難であった。荒波に揉まれ揉まれて、必死に生き抜こうとする傷ついた小鳥の様でもあり哀れでさえある。これ迄は、肉体的にも無理がきいたので頑張って来れたが、被告人も六〇歳を越え度重なるショックからすっかり弱気となった。今回、脱税事件として査察を受け、又長期間に亘る検察庁の厳しい取調べの結果、精神的・肉体的に多大のショックを受け、被告人の身体状態はきわめて不全で病院通いが続いている。又、前述の様に、多額の追徴金等の支払いも国税庁の言われるまま済ませている。この様に既に被告人は、物心両面で充分社会的制裁を受けている。

六、六〇年間平凡であるが極めて真面目な生活を送って来た被告人は、これ迄前科は全く無い。司直の取調べすら一度も受けた経歴がない。

七、以上、諸般の事情を検討すると被告人を懲役一年二月、罰金六〇〇〇万円の実刑判決に処した原判決の量刑は、余りにも重きに失する。法も「犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の経歴及び情状並びに犯罪後の情状」を考慮して出来る丈自力更生の機会を与えるべきとしている(刑訴法第二四八条御参照)。

従って、本件被告人に対しては、執行猶予付の御恩典が与えられ、是非自力更生のチャンスを与えてやっていただきたい。被告人は、これに応えて、今後一層社会的貢献をするものと思われる。

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